八束町の大半は畑です。昔から雲州人参が特産品で、その栽培面積20ヘクタールです。植え付けてから6年後に収穫する雲州人参は連作を嫌うため、15年以上置かなければ同じ畑で作る事のできない大変な作物なのです。
栽培のはじまりは天保年間(1830~1844)松江藩の事業として御手畑が作られ、島民が労働にかり出された事からです。その後藩の許しを得て、自らの畑で栽培ができるようになると、作付面積が増加し今や牡丹と並ぶ大根島の2枚看板になっています。雲州人参の栽培も古く、約200年前松江藩の財政を補う事業として始められたと言われています。当時、北は松前藩から南は薩摩藩まで全国に広がっていた栽培地が明治以降はほとんど消滅しましたがその中で、八束町は長野県、福島県とともに国内の3大産地のひとつに数えられ、県内では唯一の雲州人参の産地です。